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小倉百人一首 ”OGURA” って何?どういう意味でしょう。

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11月に入り、少し気ははやいですがそろそろ年末・年始が目の前にちらついてきました。

うさっぴ
うさっぴ
お正月、小倉百人一首などでお時間過ごすことありますか? もう、そんな時代ではないとお考えでしょうか?

そもそも百人一首ってなんなのでしょう?

百人一首は100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰です。では、誰が何のために誰の和歌を選んだのでしょう?

百人一首は平安時代末期から鎌倉時代の初期にかけて活動していた藤原定家(公家)が選んだ秀歌撰です。

藤原定家は鎌倉時代の御家人・宇都宮蓮生の依頼に応じ飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで約550年の間の貴族や歌人が詠んだ中の優れた和歌を一首ずつ選びました。年代を追って100人の歌人の和歌を取り上げました。

蓮生は別荘である小倉山荘の襖の装飾のために藤原定家に依頼したのです。百人一首に小倉とつくのは、そのためだったのです。

百人一首が成立した当時は「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨野山荘色紙和歌」 「小倉色紙」などと呼ばれ、後に「小倉百人一首」という通称が定着したとのことです。

では、どこからその和歌を選出したのでしょう。

小倉百人一首は「古今集」 「新古今集」 などの「勅撰和歌集」から集められています。小倉百人一首は全部で10種の勅撰和歌集から選ばれています。※勅撰和歌集とは時の天皇の命で編纂された和歌集で全部で21の和歌集があります。

小倉百人一首の中には女流歌人二十一人、僧侶十五人が含まれています。

また、恋の和歌が四十三首 季節の和歌の中でも秋の和歌が最も多く選出されています。

にゃんぴ
にゃんぴ
学生時代、小倉百人一首を必死で覚えたのを思い出します。一生懸命おぼえたことって意外と忘れないものですね。

藤原定家は和歌だけではなく天体記録も残しています。

藤原定家は「明月記」という日記風のエッセイを著しています。

「明月記」には多数の天文現象が記載されていますが、かに星雲(M1)の基となった1054年の超新星の記録はとても有名な話です。

※超新星とは「新しく生まれた星」ではなく「新たに見えた星」なのです。それまで全く見えなかったところに突然、星が輝きだすのです。これは星の最期となる大爆発で最も劇的なシーンなのです。

※定家が生まれたのは1162年で1054年の超新星の記録が「明月記」に書かれたのは更に後のことです。「明月記」は定家が19歳の時から記述を始めました。超新星を紹介した文章は定家が自分で調べて書いたことになっていたようですが、定家は安倍泰俊なる人物を通じて受け取った紙を「ファイルしただけ」ということが明らかになっているそうです。

引用元:京都学園大学のサイトより 京都の天文学【4】

 

にゃんぴ
にゃんぴ
はるか昔は天体の動きや気候などは生活に密接に関わっていたのでしょうね。だから記録を残したのでしょうか。

 

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